2015年9月5日 てつがくカフェ第9回「震災と美徳」(報告)

第9回目のてつがくカフェ@せんだい×とうきょうは、テーマを「震災と美徳」として行われました。

これは前回のテーマ「希望とは何か」を話し合うところで出てきた、「希望」のイメージのもつ、キラキラした明るさ、に参加者が何かひっかかるものを覚え、掘り下げてみようと、編み出されたテーマです。

きっかけはさておき、今回のテーマ「震災と美徳」について、想起や連想するものを参加者で出しました。


南三陸町で震災時、町民へのアナウンスをし続けたの役所の方が、逃げ遅れた実話が、埼玉県の「こころのノート」に「天使の声」として掲載されたことや、福島のナースが患者と自分の家族の救助のいずれを優先したかという話、関東で震災直後の4月に花見を自粛ムードが流れた話など、震災にまつわる話に加え、終戦70年、アメリカの真珠湾で打ち上げた長岡花火に対しての考え方、川で溺れた赤ちゃんを助けるという例などまで、「美徳」で想起される様々な事例が出てきました。
ちなみに南三陸町の事例の教科書掲載の是非については、参加者で賛否両論の意見がありました。

その後ファシリテータから「美徳」とは何かを考えるためのキーワード抽出が提案されました。「美」「徳」「物語」「願い」「死」「自己犠牲」「尺度」「基準」などの単語が出てました。

さらにテーマを掘りさげるために「問い」の形にすることになりました。
「立場によって震災関係者が救われる美徳とは何か」
「何が人を救うのか」
「震災を語るとき、美徳は必要なのか」
「震災における美徳は悪徳か」
「そもそも美徳とは何か」
「美徳は人を救えるのか」
「美徳は人の集団意識をどう先導するのか」

ここまでの「問い」が挙げられましたが、時間の制約で「問い」を絞込み、その答えを編み出すところまでには至りませんでした。
「震災と美徳」については、問題提起で終わりましたが、美徳についての、参加者の想起するイメージの違いについて、確認することになり、あらためて「美徳」の言葉自体の扱い方の難しさを感じる対話となりました。